棚倉城築城400年記念イベント
2025.11.26
2025/11/15(土)に開催された福島・棚倉城築城400 年記念イベントの様子


福島・棚倉城築城400年記念イベント
江戸掛川太田家19代目 太田資忠
11月15日(土)、福島県棚倉町において「棚倉城築城400年記念イベント」
へ出席してまいりました。(@棚倉町文化センター)
当日は3部構成で、1部は「歴史講演会」。
テレビで出演機会の多い、千田嘉博先生が「棚倉城から見た日本の城」という演壇で、興味深いお話を聞かせていただきました。
2部は「記念セレモニー」。
宮川町長、佐藤議長よりご挨拶があり、姉妹都市提携を結んでいる川越市の森田市長から祝辞がございました。
また、棚倉町の小中学生による「棚倉城築城400年記念宣言」が発表されました。
そして、3部として「棚倉藩主御子孫らによる棚倉城「噺」」。
こちらのパネリストとして登壇させていただきました。
太田家は太田家9代資晴公が1代23年間の藩主生活として在籍しておりました。
(棚倉藩の前は駿河田中藩、棚倉藩の後は上野舘林藩)
当日は、立花家、内藤家、小笠原家、阿部家のかつて棚倉藩主だった各家の御子孫様と一緒に登壇させていただき、太田家に関連する事をコメントさせていただきました。
各家共通な事としては、司会の方からの「家訓のようなものはある?」という質問に対しては、「ない」ということが共通点だったことは興味深いことでした。
また、各家の最終ランナーとして「先祖に恥をかかすことはできない」というプレッシャーや使命、子孫としての自覚は急に芽生えるものではない、という事なども共通点でした。
当日はこういった機会でないと出会えない、各家の御子孫の方々とお会いすることが出来、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。
3部終了後、私だけ長久寺へ住職自らご案内してくださりました。
長久寺は、当時藩主であった太田資晴公が開基であること、そして棚倉城二の丸南門を山門として寄進したという経緯から招いてくれました。
この山門は棚倉城に縁がある建物として現存する唯一のものであるとのことで、当時寄進移築されたことがとても重要な判断だったことがわかります。
約400年前の山門は長い長い歴史を見てきたことでしょう。
今まで訪れたことがなかった棚倉町。この機会を契機に、棚倉町のことが興味・関心が沸いてきたので、また訪問してみたいと思います。
最後に、当イベント開催にご尽力された棚倉町役場の皆様、そして、長久寺の山門をしっかりと今までお守り続けていただいた住職へ感謝を申し上げます。
