道灌紀行

作家尾崎氏の連載するブログ「道灌紀行は限りなく」
最新記事3件を表示しています。
詳細は「道灌紀行は限りなく」をご覧ください。

道灌紀行は限りなく
2025/03/09
1.太田氏丹陽より相模へ  太田道灌の詩友万里集九(ばんりしゅうきゅう)の漢詩文集「梅花無尽蔵(ばいかむじんぞう)」(1506年)の中に江戸城静勝軒(じょうしょうけん)の詩板のために書いた「静勝軒銘詩并序(じょうしょうけんめいしならびにじょ)」があり、その中に道灌の出自について次のように記されています。「太田左金吾公道灌は、その先はすなわち丹陽のひとなり。しかるに五、六葉の祖、はじめて相州に家す」と。  『新編武蔵風土記稿』(1830年)相模国久良岐(くらき)郡之六太田村にい..
2025/01/15
                歴史家の色川大吉先生の「歴史の現場に立てば歴史の真実が見えてくる」という教えに従い、約250か所の太田道灌史跡、関連地を訪れて『道灌紀行』を書き、20年余り経ちました。『道灌紀行』の最終地は伊勢原で、そこでの論点はやはり「道灌非業(ひごう)の最期」となります。それが太田道灌の生涯の最大の謎です。そして『太田道灌状』には、道灌遭難にいたる伏線が、随所に沈められています。『上杉定正消息』ならびに『太田資武状』も引いて考察します。*「非業の最期」とは..
2024/10/10
 西武新宿線の上石神井駅より徒歩17分あるいはJR中央線の荻窪、西荻窪からバスで10数分も走ると、東京都杉並区の井草八幡宮の大鳥居の近傍へきます。今は市街地の真っただ中ですが、ほど遠くないところに善福寺池もあるので往時は、この辺りが鄙びた、江戸の水源地であったと推測されます。 赤い大鳥居をくぐるとやや長い参道がつづきます。この参道で5年に一度、祭りの日に流鏑馬(やぶさめ)神事が行われます。参道をぬけると広場があり本殿や神楽殿、文華殿などいろいろな建物と頼朝手植えの松が並んでい..