足軽戦法

太田道灌が書き残した書簡集は、世に「太田道灌状」と称されている。
同書には、太田道灌の三十数度に及ぶ戦いのあらましが記されている。
それによると確かに、太田道灌は一度も戦で敗れたことがない。
「当方無勢に候」といつも言いながら、強大な長尾軍や千葉軍にも勝ち続けたことは、実に不思議という他はない。

その秘密は、道灌が独自に編み出した「足軽戦法」にある。
太田家記には「足軽の軍法、伝授するもの少なし」とあるが、『太田道灌状』をつぶさに読み古戦場を歩くと、その謎を解くキーワードに気付く。
『太田道灌状』の戦の場面には、度々「馬を返して」という言葉が出てくる。
道灌は手兵が少ないので、百姓を江戸城で訓練して足軽隊を編成した。
その足軽隊をあらかじめ枯れ葉の中などに隠し、敵軍を誘い出して自らの馬を返す。
そこですかさず足軽隊がまず槍で敵の馬を突き、それから武者を打ち取るという戦法である。
孫氏の兵法にいう「兵は詭道なり」を地で行ったのだ。

今日でいうと、経営のイノベーションと言えよう。
中小企業(軍隊)を大企業(軍団)に仕立て上げたのである。