太田道灌公五百二十回忌記念誌目次から
(抜粋)

太田道灌概銅像

私の心に生きる道灌 

道灌ゆかりの太田家の関係者を中心に道灌を慕う歴史愛好家・ファンの皆さんに、それぞれの胸に生きる道灌像をまとめてもらった。

「御伊勢森遺跡」で感じた歴史の重さ

筆者は太田資宗直系で千駄木にお住まいの太田松子さん。道灌最後の地の発掘調査に立ち会われたときの思いでを軸に、子孫の胸に去来するものは。

太田家のタブー

「道灌書状が取り持つご縁」

石原太田家と太田資忠

調布市下石原にのこる墳墓・太田塚。現在も墓として使われている。道灌の弟・資忠が始祖と伝えられる地元の旧家当主・太田宏氏が、太田塚に関する伝承をまとめた。

ご先祖が結ぶ縁、太田氏の故郷を訪ねて

豊島氏との戦は道灌の戦歴のハイライトでもある。現在も練馬区で行われる照姫祭りの歴史を交えて、元日本興業銀行の太田道夫氏が400年後の敵味方の思いを書き綴る。

「先祖は道灌公」がこころの支えに

群馬県生まれで現在は須田製作所を経営される須田庭治氏が、幼いころの思い出でを織り交ぜながら、自らの心の支えとなった「太田家」にかける思いをまとめられた。

「熱い川」のある熱川温泉と道灌公

関東各地にある道灌像。なかでも異色なのは静岡県熱川温泉にある猿を従えた道灌像だろう。なぜ、熱川に道灌か?地元老舗旅館・一柳閣の主人・石島専吉氏が読み解く。

道真・道灌父子と龍穏寺

秩父の名刹に残る龍穏寺に残る道灌と、父・道真の言い伝え。林に残る遺跡、道灌父子が催した歌会を紹介しつつ、道灌と埼玉県とのつながりを地元歴史研究家の伊藤章氏がまとめた。

石神井城の攻防と歴史の皮肉

太田道灌の軍配術について

埼玉県の歴史愛好家、小宮正男氏がまとめられた道灌の戦術分析。生涯無敗を誇ったと伝えられる道灌の戦術の秘密に迫る。

道真の防衛戦略

江戸落語と道灌公

古典落語「道灌」はいかにして生まれたのか。噺家・三遊亭遊吉師匠が語る。

オペラ「太田道灌」が取り持つ縁で

オペラ「太田道灌」はなぜ生まれたのか。そのオペラ上演の会場で思わぬ出会いが・・・オペラ作曲家の仙道作三氏が明かす、道灌がとりもつ出会い。

道灌湯

数ある銭湯のなか、「道灌」の名を冠した銭湯があった。「銭湯評論家」を自任する講談師・宝井琴星氏がその秘密を解き明かす。

私と道灌公

次なる夢とロマンー道灌オペラと道灌学

岩槻・平林寺と太田氏

各地の道灌像を訪ねる

関東各地にある道灌像。その数は水戸黄門とならび、全国最多の良寛さんに次ぐ2位。元名古屋テレビの宮沢健也氏はひとつひとつの像を訪ね、建てられた経緯などをまとめた。あまり知られていない逸話も。

「山吹の里」はどこか?

道灌を語るときに欠かせない「山吹の里」逸話。しかし、本来フィクションであるはずの「山吹の里」が関東各地にあるのはなぜか?歴史研究家である藤井善男氏が足で訪ねた関東各地に伝わる「山吹の里」には、それぞれに隠されたエピソードがあった。どこが本家・山吹の里か?そして藤井氏が導き出した結論は・・・。