太田道灌公520回忌記念誌

道灌が築いた江戸城はどのような城だったのか

こうした時代背景の中、道灌は上野忍が丘、湯島の台地や川崎の夢見ヶ崎などの候補地の中から江戸を選び、1457年に城を完成させる。江戸城は上杉方の道灌が成氏方の千葉氏に対応して造った前線基地であった。

<前に海、背後に山「天然の要害」>

築城当時は海が日比谷辺りまで来ており、後ろは大きな神田の山がそびえており、海から向かって右側には平川という川が流れており、左側は溜池であったとい われているから、天然の要塞として大変堅固な城であったようである。当時としては群を抜く大きな城で、後年、道灌が石垣を修理しようとしただけで「スワ、 謀反」とばかりに主君の上杉定正に疑われ、結局それが命取りとなったものである。
道灌は江戸城の中(今の東御苑宮内庁書陵部の辺り)に静勝軒という館を建てて住んでいたが、その窓の上に扁額(横に長い額)をかけ、そこに当時有名な高 僧に詩文を書かせ、それを読みながら景色をめでたと伝えられている。詩文が今でも貴重な史料として残っているが、その概略は次のとおりである。

<現代と変わらぬ人々の賑わい、活発な経済活動>

江戸城の塁の高さは十余丈(約30メートル)で、崖が切り立ったようになっており、周囲の長さは数十里に及んだ。堀は自然の泉が湧き、そこへ数箇所橋をかけて鉄の門を作り、道は左右にくねりながら頂上へ行く、と書かれている。

静勝軒から見える江戸の街の様子は次のように書かれている。「大小の商船の帆や漁舟のかがり火が遠くに見える。これらの舟が高橋(今の日本橋近く)下に停 泊し、その集う様は鱗のごとく蟻のごとくである。また各地から兵員、物資が続々と陸揚げされている。安房の米、常陸の茶、信濃の銅、越後の矢竹、相模の兵 士達である。遠くは和泉(大阪・堺)から玉類、象牙、香木、漆、糸、薬科などが送られてくる」。いかに当時の江戸城下がにぎわっていたかが、推察できる。
その後、150年を経て徳川家康が江戸へ入るが、読書好きだった家康の頭には室町時代の江戸の賑わいや経済的価値が入っていたのではないかと思われる。