太田道灌 系図

太田道灌は突然謀殺されたことから、家督がどこへ繋がったかよく分かっていません。
今でも学者がいろいろ調べております。
道灌の死後太田家は岩付系と江戸系に分かれますが、どうやら岩付系が後を継いだようです。

因みに黒田基樹教授の書かれた系図をお示しします。
同氏の著書「図説太田道灌」(戎光祥出版)p34によれば、道灌の子供は史料で確実なのは源六資康(江戸系)のみで、資康が生まれた時は道灌は45歳であったことから既に甥資雄ら(岩付系)を養子に迎えていたと思われる、と書かれています。
 

出典:「図説太田道灌」(戎光祥出版)